コトダマリ

抜け殻の感性。

運命の線路が交差する時

「運命の線路が交差する時 また会おう!」
ってホーローおじいちゃんが言ってた。


思うに
人も物もありとあらゆる 時を持つものはみな 線を描いていて
何かが起きる時、何かが変わる時、心が動く時
それは必然にして偶然、複数の線が重なり合う地点。

簡単に言ってしまえばタイミングの問題。
なんだかそれらしく言えば 縁があったとか なかったとか。

つまり 今回はタイミングが良かったのだと思う。
重なりの先に 違う線が描かれて
そうして生命の安寧を手に入れ、触れるはずのなかった物に触れ、また別の縁に恵まれ
思ってもみなかった平穏を持て余している。

だから 今回はタイミングが良かったのだと思う。
精神的余裕がなければ他者を受け入れるということは難しいし
自己を省みることも、希望を持つことも出来ないから。
それに物理的距離も金銭的問題も生きていくということには直結してくるし。

あの時 この場所で その人が どの感情を
そのひとつどれかの歯車が食い違って
違う線を繋いだとしたら
きっと今は今じゃなかったな。
と、至って当たり前のことなんだけど

その時 違う場所で 違う人が 違う感情で
そうやって迎えたかもしれない今と、現実はどちらが幸せだっただろうか、とか。

過ぎてしまったことを「もしも」なんて考えることは至極無意味だと思う。
自分の意思で選択できた限りは、その選択を悔いることはないけれど
ノベルゲームをセーブ地点から遊び直すような感覚で
違う選択肢のルートも見てみたいと思う。

全てのタイミングが揃って
誰かの線と交差してが出逢う可能性は 無限分の1に等しいけれど
ここはオブザーバーのいない世界で
主観的には あるか ないか どちらかでしかない

だとすれば
出逢い損ねたもしもの世界の誰かにだって
また逢えるような気もする。


運命の線路が交差した時、どうか夢の中で起きたことを思い出して。