生きるってコスパが悪い。
もちろん死ぬことがコスパが良いわけではない。というか、死んでしまえば無なのだからコストもクソもないのだけど
生きるために支払うコストの高さだけが、酷く目につく。
生きていくには金がかかる。金を稼がねばならない。でも私が言いたいコストというのは、金銭的な額面の話だけではなくて、生命を維持するために必要な生活のすべてのことだ。
食べることが得意ではない。食べられる日と食べられない日があるし、食べても気持ち悪くなることが多い。かと言って、食べなければ当然体調を崩す。
眠ることも得意ではない。布団に潜り込んでも何時間も眠れず朝を迎えることも屡々。何種類もの睡眠薬を流し込んでなんとか眠りにつけたとしても、今度は昼まで薬が抜けずに動けなくなる。
そういう生命を維持するための根幹になる行為が苦手なのに、その上で人間としての普通の生活を送らなければいけない。
風呂に入らなければ不潔だし、掃除をしなければ埃は積もる。買い物や病院や役所に出かけること、洗濯や皿洗いをこなすこと、学校に通うこと、金を稼ぐこと、人と出会い関わること、そういう人間として普通に生きていくために必要な当たり前のことが多すぎる。
時間と体力と心をすり減らしながら、そういう当たり前の生活を回していくことが、私にはあまりにも難易度が高い。
私以外の誰しも等しく、何かを我慢し、何かを犠牲にして、生活を維持するために見えないコストを払い続けていて
けど、そうして当たり前の今日を繰り返した先に、何の希望があるの?そこまでして生きていく意味があるわけ?
ある日突然、病気になるかもしれない。事故に遭うかもしれない。何か大きな障害を抱え、今送れている生活もままならなくなるかもしれない。自分で歩くことも、話すことも、こうやって生きることについて考えることも出来なくなるかもしれない。たくさんの管に繋がれて、死ぬことすら自分で選べなくなるかもしれない。
年を重ねるほどそうした不運のリスクは上がっていくし、運良く健康なまま年老いたとしても、いずれは認知機能が衰え、誰かの世話なしに生きられなくなる。
誰しもいつか死ぬというゴール地点は決まっていいて、その瞬間を先延ばしにすればするほど不幸な死に方をするリスクは上がっていくのに、多くの苦労とコストをかけて今の生活を繰り返し、年老いていくことに、果たして価値があるのかな。
何のために、生きているのかな。
とはいっても、無駄に医療の進歩した安楽死の認められないこの世界で、安全な自死の方法は存在しなくて、下手な選択をすれば死ねずに重い障害を負って生き残るリスクの方が高く、死ぬことを選ぶことすら出来ないのだけれども。
今も私は死ねないから生きているだけで、そのためにこの先も生き続けることを思い描くと、ただただ苦しく不安になる。
「明けない夜はない」なんて、一体誰が言ったの?
朝が来ればまた新しい一日が始まってしまったことに絶望する。夜が明けなければ終わりの見えない永遠の暗闇に打ちひしがれる。
どちらにせよ、生きている限り救いがないのに。