コトダマリ

抜け殻の感性。

これは寝言です。

リスクを冒して新しいものを手に入れようとする事が出来るのは
それによって起きるかもしれない損失を、後の自分が埋め合わせられるという自信や確信があるからなのだろうと思う。

根拠の無い「やってみりゃなんとかなるだろ」なんていい加減な選択肢を、人生の分岐点で選べないよね。

自分のことであれば大半の人間が同意するであろうそれが
他人の事となるとどうも見えなくなってしまうようで
あまりにも楽観的で杜撰で抽象的なアドバイスを投げかけられることに辟易したりする。

大抵の成人は自分の責任の上に生きていて
だからこそ慎重な選択をせざるをえなくて
私みたいに責任を負うだけの土台や力もない人間には、選べるものはさほどないと思う。

だから、それが前進的な選択でないとか、そんなことはさておき
持たざる者にとっての最善はいつも
何とか今を繋ぎ止めていられるだけの不変なのだ

明日のことを考えられるのは、今日を当たり前に生き伸びられる者だけで
数年後のことを考えられるのは、数年後も当たり前に生きていると思える者だけで

飢えに苦しむ人が、今日食べるためにやっとのことで手に入れた果実を
数年後の実りのために土に埋めるなんてことは出来なくて
それを第三者が無責任に提言するというのは

じゃあそれで他に何日も食べるものが見つからなかったら?
じゃあそれで埋めた実が芽を出さなかったら?
その時誰かが助けてくれんの?

という話。

その時はその時で誰かが何とかしてくれるよ〜、なんていうのは
たまたま運良く救われたことのある人間の寝言に過ぎない。

寝言は寝て言え。zzZ....