コトダマリ

抜け殻の感性。

うすまらない

悲しみとか喜びとか、大抵の感情は時と共に薄れゆく。

実家を離れて、1年。
あれだけ嫌で仕方なかった相手とも時間をかけて、距離を置いて、積年の恨みも、春の雪溶けのように薄まりゆく…

…わけがなかった

耳にタコが出来るほどかけられてきた
離れたら親のありがたみが分かるよ〜とか
血の繋がった家族なんだから〜とか

「んなわけあるかい」と聞き流してきたけど
1年経って改めて想います。「んなわけあるかい」と。

関係によって得られる金銭的や物質的なメリットと
物理的に逃げ場があるということで妥協できる範囲でのデメリット
それらを天秤にかけてギリギリのところで関わりは保てているけれど
だからって過去25年分の私の気持ちが無かったことになるわけはないんだな。

(まぁ実際のところは、まだ握られている通帳やら書類があるのでどうにも離れられないという部分が大きいのだけれども。それがなければ断ち切ってしまう方がお互いのために良いとすら思う)


時が経って、分母が増えて、比率が少なくなれば目を瞑れるわけじゃなくて
平穏や普通をひとつ手に入れる度、自分の置かれていた環境の歪さが浮き彫りになって
穏やかに生きている人と関わる度、取り戻せない時間とその間に開いてしまった周りとの差に落胆して

そうやって自分の過去に思いを馳せる度
あなたたちさえ居なければ、と思うのです。

別に復讐してやる、などと野蛮な発想を持ち合わせているわけではなくて
今更闘う気力だってそんなになくて
というか、闘ったところで何も得られないことを私は知っていて
でも、あなたたちさえ居なければ、そもそも私は生まれなくて
何も始まらなかった。ハッピーエンド、どころか、ハッピースタートであった。

歪んだ場所に生まれて、いびつに育って、何ひとつまともに出来ない私は、息をするのもやっとで。

世界が歪んで見えるのは、治らない眩暈のせいなのか
はたまた、私自身が歪んでいるからなのか。

ほんの10分も立っていられなくて、息が苦しくなって、蹲る。
立ち上がっただけで、動悸がして、脳がぐわんぐわんと揺れる。

電車もバスも座らないと乗れなくて
買い物中に休憩が必要で、それでもたまにぶっ倒れて
些細な家事をひとつこなすと、その日はもう他に何も出来なくて
そんな当たり前のことが何も出来なくて
その状態で何かと闘おうという方が無茶で

だから最初から、何も無ければ良かったとおもう。
生を受けたこと自体が呪いであるならば、呪いは薄まらない。
その者の命全てを飲み込むまで、蝕み続ける。