コトダマリ

抜け殻の感性。

ずっと書きたかったことをやっと書けた。

ふと夜中に昔のことを思い出して悲しくなった時、イヤホン越しのノイズに孤独を救われる事を恋と呼んでいた。

 

雨晒しの時間も、血塗れの過去も、 日々情報の積もっていく記憶媒体の中で奥の方に追いやってしまっただけで、ほんの少しのきっかけで呼び起こされる。

 全てが意味を亡くしたあの瞬間さえも、眼を閉じれば何度も私を殺しにやってくる。

 

それゆえ、今も知らない言語の知らない音楽に思考を委ねて、ゴーストノートに手を伸ばしている。

 

自己解決を放棄して他者に縋ることを恋と呼ぶのなら、そんなもの無い方がいいな、と今なら思えるよ。

所詮、私の地獄は私にしか見えなくて、だから私にしか救い出せないのだ。

 

何も変わらないで欲しいと、そればかり口にしていたのに

そうこうしている間に、絶対零度の冷たさなんてもう嘘みたいに遠のいて

きっととっくに季節は暖かさを取り戻して

なんだか、こんなのって嫌だな、と太陽を背に塞ぎ込んだ。

 

要するに、私は私を救えないのではなくて、救おうと思えない、ということ。

 

悲しいままで居られないことさえも私には悲しいし、救われたくないとすら心のどこかで望んでいる。

愁い方を忘れてしまったら、死を望む感情を失ってしまったら、私という人間の個性は亡びてしまう気がするのだ。

 

私のこれまでの時間は、ガラスの破片を裸足で踏み締めるような地獄で

それは感情と最低限の今を繰り返し積み重ねて出来ただけの偶然の産物で

だからこそ芸術的で奇跡的で美しくて面白くて

どうしようもなくクソなのに、愛おしいとすら思えて、懐古してしまう。

 

これは、自己愛と呼べるのかな。