コトダマリ

抜け殻の感性。

幼年の自分に首を絞められている

誰かに傷付けられた気になっているけど
別に今目の前にいる誰かに傷付けられているわけじゃなくて
過去の自分自身に傷付けられているってことに、気付いた。

遥か昔に傷付いたことを今に重ねて
あの時ああだったのだから、どうせ、
という態度を取って自ら悪い結果を招いている
そして案の定だと言わんばかりに被害者ぶっている。

でも自分の首にくい込んだ紐を握っているのは子供の頃の自分ってこと。


ただ起きたことを伝えたら、作り話だと否定された。
頭のおかしな子供だと烙印を押されて、考えすぎだと笑われて、助けて欲しいって口に出す隙もなかった。
何が正しくて、何が悪で、何が普通で、どうあるべきで、ただどうしたら苦しまずに済むのか、教えてもらえなかった。

もう十数年も前のことだけれど
あの日々の重苦しさを、内臓を搾られるような不快感を、逃げて隠れて泣いていた道を、向けられた刺すような視線を、誰からも好かれていないって気付いてしまう痛みを、
全部昨日の事のように覚えている。


いちばん救われたかったあの時の私を
今の私が救いにいかなくちゃいけなくて。

未来で自由を手に入れられたよ、だとか
苦しみは永遠には続かないよ、だとか
そんな在り来りな言葉は全然届かないことをよく知っていて
何も救いのなかったあの時の自分に掛けてあげられるいちばん優しい言葉は
「もう生きていなくたっていいよ」だけなのだ。

...

つい最近
他の誰かを傷付けないために自分が傷付くなんて
そんな犠牲の上に成り立つ人間関係は続きやしない
と思ったばかりだけど

私はずっと、たったひとりを傷付けないためだけに、そのひとが死ぬまで、傷付きながら、それを隠しながら生きのびたのだった。

そうやって自分を犠牲にして誰かを守ることが愛だとしたら
もう 誰も愛しも、誰にも愛されも、したくないな。