コトダマリ

抜け殻の感性。

華氏

タンパク質が炭化していく匂いに懐かしさを覚えたりする。
髪を抜いて、火をつけてみたこと、きっと誰でもあるよね?

すっかり様変わりした部屋も引き出しの中はあの日のまま。

そんなもん。

外側をどんなに塗り替えたって、見えないところは変わりゃしない。
記憶も感情も時間と共に薄れゆくもので、だからそれなりになんとか今をやっていられる。
多分また1年もしたら、今日のことなんてひとつも覚えちゃいないし、この日記を読みかえしても今日に何があったのかすら思い出せないと思うんだ。
それでいい。

特に何も無かったよ。

家の中が不穏な空気で、他人の感情に振り回されて、だから距離を改めて、頭痛がするからコーヒーばかり飲んで、好きな人の声を聞いて、架空の世界で冒険をして、初恋を思い出して、ベランダから朝日が昇るのを見て、死に方を模索して、チョコレートを食べて。
そしてまだ眠れずにこれを書いている。

概ね、いつも通り。

焦がすような強いエネルギーは持ち合わせていないけれど、弱火のままジリジリと。気付いたら痕がついている。
火傷の痕ってなかなか消えないのよ。

いつだって憎悪と愛好は併存している。
モービィ・ディックへの報復に狂気じみた執念を抱いたエイハブでさえ鯨骨の義足をしていたわけだから。

距離の近いものに無関心でいることは難しい。
温度を持たないということは死に程近い。
かといって、他者の感情が自分の心に闖入してくるというのは気味が悪い。

鯨でさえも人間と同じくらいの温度を持つのだ。
あの大きさで。
その温度を保つだけの熱量と言ったら。

人間でなければ、このような燻った感情もほぼゼロに等しかったかもしれない。