コトダマリ

抜け殻の感性。

理想の世界の創り方

生存の否定。

死にたいとか生きたいとか感情論以前に、死んだ方が全てが良い方向に行くからこそ死ぬべきと思っていて、けれど自分の中の小さな希望的観測者がしょうもない絵空事を並べては抗っている。
なんとか目の前のやることに手一杯になることでその選択から目を背けてはいるけれど、日々の些細な事柄で躓く度に思い出すのだ。
そもそも私は何で生き延びているのだっけ?と。

今の私に出来る最善の行ないが死の選択であることは、そもそも選択する余地もないことで、それは逃避でも抛棄でもなくて、むしろ生温く心地よい日常に甘んじて増長した今の自分にこそ現実を知らしめてやるべきだと。

幾らでも代替の利く、ならば、ただそれが私でなければよかったと思う。
存在するゼロの定義すら不必要だ。存在しないものを表す必要がないのだから。
定義したその瞬間からそれはそこに存在する。
本来の無は定義し得ない、認識し得ないものであるべきなのだ。

そうは言えど、過ぎた時間を巻き戻すことは出来ないので、今から出来ることと言えば、償いと埋め合わせ、その程度。

だからこそ理想的な未来はいつも私の死の向こう側に存在する。

どうか、その理想的な世界を生きて、と。