誰かを救った神様が自分をも救ってくれるとは限らない。
誰かにとっての死神が今日の私に救済を齎すかもしれない。
天国の故人が悲しむよ、なんて言葉は 聞きたくないのです。
本当に死後の世界なんてものがあって、そこで私の大好きな人が苦痛もなく幸せに過ごしているのだとしたら、今すぐにだって会いに行きたい。
私が今も、クソみたいな日常に馴染んだ振りをして、適当に生きながらえているのは
私を大切にしてくれる人がそれなりにいて、些細ながらも楽しいと思えることがまだその辺に転がっていて
そういう全てを捨ててまで急いて死ぬ理由が今のところは無いから。
だから
死の後に存在するのは其処は彼と無い永久の時だけで、それは即ち無で、
だからもう私の大好きな人の意思はこの世界の何処にも存在はしなくて、
霊や魂なんてものは生存者にとって都合の良い祈りの生んだ偶像で、
そうであって欲しい。
そうでなくちゃ困るんだよ。
まぁ、もう何の意味も無いと思いながら、私もまた偶像に語り掛けているんだけど。
弔いはいつも、生存者の気休めでしかないし
神はいつも、信じる者しか救わない。