いつ終わっても良いと思っている。
何かに期待をしていないし、希望も持っていない。けれどそれは抑圧によって発生した諦めではなくて、特別どうにかしたいという欲もないのだ。
(そうに至ったのはこれまでの人生の積み重ね故かもしれないが)
痛いことも苦しいことも嫌いだ。
だから自分の身体を傷付けたり中途半端に苦しみを得るような致死体験はしたくないと思う。
それが心の救いになる人もいるけど、私にとって痛みは恐怖だし。
痛いのも苦しいのも嫌だから
そういう手段を選んでまで急いて死ぬ必要は、今のところない。
けど、生きていきたいわけでもないし、なんとなく漠然とどこかで辞めたいなぁと思っている。
そんなに心を病んでいる訳でもないと思う。
余りにも難易度の高いゲームで、モチベーションを失くした。まぁ別にクリア出来なくても良いしなぁ。もうやらなくていいかなぁ。別に今すぐ捨てるまでしなくてもいいけど、ゲーム屋に行く機会があったら売ろうかな。
みたいな。そんな感じ。
やりたい事がなくなってきた。
否、やりたい事はあるのかもしれないけど、やらないんだろうなと思っている。
写真撮りたいな(撮らないけど)、とか。
行動の意味を考えている。
全て死ぬまでの暇つぶしなんじゃないかな、などと。
ただ死にゆくだけなのに、消費と生産を繰り返す意味とは。(むしろ生産していないが。)
というか、私が生きていようと死んでいようと、それは私の問題で、実に些細なことなのだ。
祖母が居なくなったことを大袈裟すぎるくらいに悲しんでいるが、それだって本来は私の問題ではない。
私が死んだ訳でもないのに、何故自分のことのように悲しんでいるの?
何度も言うけど死にたいわけじゃないのよ、あんまり生きていたくないだけで。
生きていると社会的でありたいとか、肯定感を得ようとか、自尊心みたいなものが芽生えちゃって疲れるので。
いくらでも代替の効く生命体のくせに、他人から肯定感を得ようとするなど烏滸がましいのよなぁ私。