コトダマリ

抜け殻の感性。

6歳から成長していない

まだ幼い頃、誕生日だかクリスマスだかの時期に「プレゼントを買ってあげる、何が欲しい?」と両親に聞かれて口篭った、そんな記憶がある。

 

思えば、いまいち欲のない子供だった。

 

特に欲する必要もなかったのかもしれない。

嘴を大きく開けて必死にアピールしなくても、生命活動に必要なだけの衣食住は満足に与えられていたし。

 

それに私は物をまだあまり知らなかった。

自分が何かが欲しい というのは、この世に何が存在するのかを知らなければ発生しえない感情なのだ。

 

それにしても、どうにも主張のない子供だった。

 

何か駄々を捏ねて怒られたという記憶が無いし、後に生まれた妹が玩具屋の床に寝転がって泣いたり、まだ帰りたくないと公園を逃げ回ったりしているのを見ながら、両親は「長女はこんなことなかったのに」と首を傾げていた。

 

といえば、大人しいけれど狡猾な子供だった。

 

周りの子が、あれが嫌だ、これがいい、と声を上げているのを聞きながら、「聞き分けの良い子供が大人からいかに賞賛されるか」ということを知っていて、そう振舞っていた。

 

「〇〇ちゃんはお行儀が良くて」とか「聞き分けが良くて」と褒められるための行動が出来たし、何かを尋ねられた時大人が欲する答えを提示することが出来た。

 

幼稚園で将来の夢を尋ねられた時「お母さんを旅行に連れて行ってあげたい」等と答えて母親を上機嫌にし、多分お菓子か何か買ってもらった。

 

そんな事は別に心にも思っていなくて、特になりたい夢なんてものも無くて、というか、周りの子が口にする「バレリーナになりたい」「野球選手になりたい」はたまた「プリ〇ュアになりたい」みたいな素っ頓狂な夢は叶いっこないし現実的でないと内心小馬鹿にしていて、大人になれば大抵はサラリーマンとか街の見えるところで働く人になるのだと思っていた。

だから自分が何かになりたいとか考えなかった、考えなくてもいつかそうなるんだろうなと思っていたから。

 

こう考えるととても嫌な子供だ。

 

まぁでもそんな具合で、何かを主張したり欲したりしなくても、褒められるべき言動さえ知っていれば自分の立場も応酬も脅かされることはないと胡座をかいていた。

 

それで自分に妹が生まれるとわかった時、少々慄いた。

これは自己の存在を脅かす生き物が現れるぞ、と。

 

「妹要らないんだけど」と答え、

「まぁ妹が生まれてもいいけど私はお姉ちゃんにならないよ!」と宣言し、

妹に「私をお姉ちゃんと呼ばないでね」と教えた子供、一体他にどれだけいるだろうか。

 

ここでいよいよ私は主張表現の必要性を知ることになる。

そんなことを言ったって、僅か6年の人生で得てこなかったものをいきなり習得しようなどできるわけが無いのだが。

 

歳を経て現在、相変わらず私は自己主張の下手くそな人間をやっているわけ。