コトダマリ

抜け殻の感性。

枕上の空論

大体は杞憂に終わるのだけれど、最悪のパターンをいつも頭の片隅においていて、だから想定外のことが起きた時真っ先にその最悪のパターンが頭をよぎる。

極論、連絡がつかない相手は死んだ可能性も無きにしも非ず、とか。

命はいつか絶える日を迎え、今触れられる物はいつか触れられなくなる。手に入れたものはいつか失う。与えられたものはいつか奪われる。
しかしそれがいつかは誰にもわからない。そういう摂理であると知っている。

だからいつも、目が覚めたらそこは本当の孤独かもしれないと恐怖しながら眠りに落ちる。

そう分かっていたって、もう誰も見送りたくない。

こんなに人の手を借りないつもりだったのは自分を過信していたせいなのだけれども
人の手を煩わせてまで人権を獲てなんとか生きているらしい。
正直何にも自分ひとりじゃ出来てないじゃない?ってクソダサ。

私は誰かに与えられるものなんてひとつもないのに
誰かから与えられて生かされている人生ってどうなんでしょう
なかなかにテイカーじゃない?


そうして他人の力で獲た人権のある部屋で寝食を行うようになってから幾日か経ったが、あの檻は私のコミュニティとしての社会であったということに気付いた。
さすればここは、俗世との繋がりのない未開の孤島のようなものかも。

鎖に繋がれていただけ孤独さはなかったとも言える。

もちろん到底戻りたいとは思わないし、あの檻に未練はないが。

心の繋がりはなかったと断言出来るが、それでもあれはひとつの私の繋がっていたコミュニティであって
何せ社会的立ち位置は最底辺(というか属せてすらいない)だから
それ以外にさほど繋がりというものがなかったし今もない。

人間社会での立ち位置、1からの構築、なかなかに難しい。
インターネットで適当に 私という生き物としてやっていくのは簡単なことだけれど
本来の私一個人として他人との関係を構築するのってどうやるんでしたっけ。

というかこの歳になってほぼ白紙状態の人生経験値で、どうやってか埋められるのでしょうか?とか。

今更人並みのレールに戻って生きられるルートなんかあるかも怪しいが。

そもそも本当に人並みになりたいと望んでるの?とか。


誰にも迷惑をかけないで、今までよりしんどくない程度に生活が出来ればそれでいいです。というのが本心。
でもすでに生きてるだけで迷惑かけまくってんのよな、というのが現実。


じゃぁ死ねば?ってたどり着くのがいつもの流れ。
私が先に死んじゃえばもうあんな最悪のパターン見なくて済むしな、とか。


あれこれ考えてみても、結局寝れないからろくな思考が出来ないってこと。
これは机上の空論ならぬ枕上の空論。