コトダマリ

抜け殻の感性。

諦めることで楽になろうとしている

ふとした瞬間に特段これといった理由もなく
「死ぬかぁ」みたいな気持ちが湧いてくることがあって
その気持ちがやって来る度、ほんの少しずつ生きることがどうでもよくなっていく。
そうして世界にも他人にも自分にも期待が出来なくなって、自分が本当は誰も信じていないってことに気付いてしまう。

そんな鬱々とした感情を抱きしめて眠りについたって、目が覚める頃には寝る前のことなんてすっかり忘れていて、それでもまた、着実に前より短い間隔でその気持ちはやってくる。
あの頃はまだ季節に1度くらいで、今は日に何度か。

新居の契約書にサインしながら、別に今死んでもいいなぁと思っていた。
自分の死に場所を自分で決められるというのはそんなに悪いことでもないか。などと。

日に日に短くなっていく平穏な時間がいつかゼロになった時、自分はそれでも生きていくのだろうか?
無理だろうな。

本当はとっくに分かっている。
環境なんてものはきっかけでしかなくて、全ては自分の歪な思考回路が捻り出した言い訳でしかない。
自分の存在を否定することが他人を傷付けることになるから、子供じみた悪あがきをするのはやめた。
だけど本質は何も変わっちゃいない、拗らせたまま。

自分が手に入れられなかったものを持っている人をクズだと罵って、起きたことを誰かのせいにして、腐りきった社会に斜め上から物申す。自分だってその掃き溜めから抜け出せもしないくせに。

ガキか。

14歳の私はそんなものだった。
今だってさほど変わらない。ただ順応性が身に付いて、愛想笑いが出来るようになっただけで。

だったら、死んだら?って。