コトダマリ

抜け殻の感性。

守りたいものを他所に置く

また一年が終わる。
この一年で取り返せたものと、失ったものと、どちらが多いのか。
多分あんまり取り返せてないし。

子供の頃や学生時代に、自由が許されず、人間らしく扱って貰えなかったというのは私の自己肯定感を著しく下げる原因になっていると思っている。

まず圧倒的な経験値の少なさ。機会の損失。
それによる価値観のズレ、常識の欠落。

失ったものの多い代わりに、自分と同じように、どこかしら欠如した人に寄り添えるようになった。
私は足りていない自分そのものを赦せていないから、同族嫌悪の感情がないといえば嘘になるけど。

だから言い方を悪くすれば、傷の舐め合いで安心感を得るための、ある種のコンフォートゾーンのようなものだと思っているけど、それを優しさと呼ぶ人もいるらしい。

しかし優しいって疲れるんだ。

自分の心を守ろうとすれば、他人に優しくしないことだと、それに尽きる。
受け入れさえしなければ、悪意も(そして悪意なく飛んでくる流れ弾のような言葉も)さほど恐ろしいものではなくて
心の隙を与えなければ、傷付けられずに居られる。

必然的に、人を避ける、好意も愛も拒む。
全てを拒んでいる時が1番気持ちが軽かったりする。

それでも、どんなに気持ちが軽くなっても、孤独は拭えない。
野生動物が立ったまま寝るみたいに、常に張り詰めて、周りを警戒し続けて休まらずに生きていくのは難しい。
束の間の安心感や、群れる先を得るために、弱点をさらけ出す。

人間の心、矛盾していると思う。