コトダマリ

抜け殻の感性。

ヒューマンエラー(相違)

電源を引っこ抜いたら間違いなくデータ破損するけど
通常の終了プロセスの途中でエラーを繰り返して終われないパターンってどうしたらええんじゃろな。

仮にそうするしかないとして
今まで積み上げて来たものを崩してまで手に入れたいものなんかあったかな。

ただもう何も続けたくないのだ。

古いフィルムを巻き戻して最初から見直すような。
ネットで酷評されていた小説を手に取るような。
言うほど、そんなに悪くなかったかな。とか
後少しタイミングが違えば、気付かずにいられたかな。とか

知らずに見捨てている不幸なんてものは山程あって
ただそれをよく知ってしまったから後ろめたいだけなのだと思う。

握った砂を払い落とした時、どれが自分の触れた砂かなんて分からないのだから。

個は今その時の貌であって
散った命は空気に溶けて またひとつに還っていくのだと
見つけられないだけで多分その痕跡は何処かにあって
忘れた頃に巡るのだと
そう思えたらもう少しマシだったかな。

人間をうまくやっていくには試行回数が足りてないよ。

でも
いくつもの可能性も
間違えてきた解答も
あの時選ばなかった方の私がその先で笑っているとしたら
なんで私はハズレの方の私なんだろうか。

本を閉じる時の、つまらない後書きの最後の一文ををなぞり続けるあの時間が、今の私を支配しているよ。

夢の角で打撲をした

夢の中がいつも暖かくて幸せなのは、それが現実でないからだ。

眠っている間の、ほんのひととき
意識の隙間の、一瞬の繋ぎ合わせ。

もし、その暖かな夢がこちら側に落ちてきて現実になったとしたら
夢は夢でなくなり、温もりは失われる

夢の中でいつも幸せでいられるのは
その背景も、過程も、選択も、その裏の真実も、何も存在しないからだ。

いつだって誰かの幸福は誰かの不幸の上に成り立っていて
どちらかを選べば、選ばれなかった方が存在して
何かを得ることは、何かを失うことで
何も犠牲を払わずに、留まっていることは出来ない。

気付きたくない。
全部夢のままでよかった。
目が覚めたら失ってしまえる。
そうしてまた次の夢を見る。
ただそれで良かったのに。


320Mbpsで飛んできた弾を避けるのって意外と難しい。

夜の淵にて

年の瀬になると、日頃見ないふりをして来た黒い塊が穴から顔を出して、こちらへ手を振ってくる。

ゼロでいるよりはマシだからマイナスを抱えているだけ。
とっくに諦めている。
望んでもそうなり得ないのは、自分がそれに値しないから。
生まれた時のクジ運と、私という人間の性質と、選択ミス、諸々。
じゃあどこからやり直せば良いかと訊かれたって分からない。

こんなことのために生き延びていたんだっけな。


虐げられていた方が、誰からも見つけて貰えないより幸せかもしれない。
だとしても、虐げられて嬉しい命はきっと在るべきでない。

成功体験がないのに、希望を持てというのは難しいし
だから私は回避し続けるだけの生き方をしている。
回避し続けた先に、幸せが落ちているわけないのだ。
努力しなければ手に入らないと、よく知ってる。

でも。じゃあ。だって。を繰り返す。
言い訳ばっかり。

私より努力してる人なんか何億人もいるし
もしかしたらもっと頑張れたのかもしれないけど
あの時の私には、あれ以上頑張れなかったよって話。
今の私にも、もうこれ以上を求めないでって話。

最低限、揺るがない土台が欲しかった。
虚無に何を積み上げろってんだ。

世の中不公平なんだから諦めろ、わかる。
他人より頑張れなかったんだから現状を受け入れろ、そう思う。
努力もせずに誰か幸せにしてください、なんて望んでいない。

それでも棄権することすら許されないのか。

頑張りたくない人まで頑張らなきゃいけないなんて
幸せになりたくないのに、幸せにならなくちゃいけないなんて
なんのために?誰のために?

理由をつけてダラダラ後回しにしてきただけで
結局私は今も昔も 消えてなくなりたいだけなんだが。

マジでクソ。
来年なんか永遠に来なければいいのに。

頬の内側を切った

予期不安というやつ。
過去の出来事に心臓がすり潰されるような。


子供の頃から、そこそこ頻繁にぶっ倒れる。

起立性調節障害とかいう、自分の血液循環すら管理できないポンコツな体なので、何かしらの要因で血圧を調節できなくなった時、脳が酸欠を起こして意識が無くなるらしい。

酸素の薄いところ、気圧、気温、迷走神経反射、同じ姿勢で居ること、立ったままいること、食事や摂取したもの、時間帯、その他諸々。
トリガーは多すぎて未解明。

陸にいるのに溺れている感覚。

重力負荷が増えて
手足が動かせなくなって
息が上手く吸えなくなって
水中のように音がくぐもって聴こえて
視界には白い靄がかかって
首から上が温度を失いながら痺れていって
次の瞬間には地面とこんにちはしている。


だから人間の世界で生きていける自信が無い。
楽しいことをしたいだけだって、自分の体のことは自分が一番信用出来ない。

何度もぶっ倒れて頬の内側を切った、何度目かの血の味がした。

出来損ないが他人の人生に関わるべきじゃないんだよなっていつも思うわけ。

ヒトコマ

今のこの憂鬱さは、泥濘に足を掬われているだけなのだ。
今のこの物悲しさは、季節の変わり目のそれと同じなのだ。
移ろい、虚ろう、ということ。

私には見えないけど、もしそこに神様というやつがいるなら、きっととても気紛れだし、性格が悪いのだと思う。
だから、こんなにも目まぐるしく時は過ぎてしまう。
ちょっとついていけないよ。

貧弱な私は、早回しのコマの間で息切れしている。

だからと言って、これまでの全ては嘘じゃなかったよ。
ただ偶然の連続が織り成していた、それが途切れた。それだけ。

もう少し足が速かったら追いつけたのかも。
そうしたらこの偽物の部屋からも、逃げ出せたのかも。

好きな人の子供が嫌い

私が薄情な人間なのかな。などと考えている。
どんなに憎んでいる相手でも、その者の命の危機に瀕したその時になれば、少しは感情が振れることもあるかもしれない、と思っていた。
が、やっぱりそんなことは、全然なさそう。


血の繋がりなんて、遺伝子の形の継承に過ぎない。
育てたなんて、作った義務を果たしたに過ぎない。
二十年以上も共に生活をした相手に対して、そうとしか思えないまま今を迎えたという、その事実がもはや全て。

生まれつき性格の捻れた人間というのはそんなに居ないと思うし、子供が何の理由もなく親を憎むことだってないと思う。

結局これまでの些細な(些細と呼べないものもある)負債の積み重ね。
本人はかつて私に手をあげたことを笑い話にしていたけれど。

ウケルーオモシローイ キャッキャッ


昔、私のしていることは、ただの傷の舐め合いだと非難されたことを思い出した。
傷をつけた張本人が、傷を舐め合い束の間の安らぎを得ることすら非難して、それでも生きていろなどと言うのは随分勝手だなと思った。

痛みを誤魔化してやり過ごすことすら許さないなら、殺してくれた方がまだ人道的だと思う。

私は人道的であるから、苦しんで生き続けろなんて言わないよ。
もちろん安らかにとも思わないけど。

助けられなかったから、助けもしない。
慈しまれなかったから、慈しみもしない。
愛されなかったから、愛しもしない。


おまえの人格が歪んでいるから他者とうまくやれないのだと言われて育ったけれど
ただひたすらに受け身であれば絶対に得られないそれを、他人とはそれなりに形成出来ているので、やっぱりこちらだけの問題じゃないと思うんだよね。


祖母にだけ申し訳なく思います。
こんな孫で、あなたの息子を大切に出来なくてごめんなさい。

努力が伴わないのでいつも絵空事

一番大切にした人の一番大切な人になりたいというのは、他の人には簡単に出来ているように見えて、何故か私には難しい。
子供の頃からそう。
親友の親友が私じゃないなんてこと、そんなことばっかり。

私だけ、が欲しい。

一番以外なんにも要らないのだ。
一番ならそれ以外はなんにも要らないのだ。

二番以降、有象無象、雑魚塵芥
絶対的に一番でいられる私の視界にはそんなもの入らないので。

だから例えば、独占欲も束縛も嫉妬も、私が一番でさえ居られればどうでもいい、意味の無いこと。

それだけしか望まないのに、それが手に入らないのは、
ずっと一番に拘ってるからなのかも。



まぁ一番に拘るなら、誰よりも一番努力をしなくちゃいけないんだけど。

勉強とか仕事とかそういう他人に誇れる何かを頑張ってきたとはとても言えないけど
人に必要とされるための努力はしてきたつもり。
あんまり効果なかったけど。

自己完結しないことに期待を置いたり、それで自分を満たそうとするのはやめた方がいい。
他人のことは変えられないし、他人の問題を自分の問題に置き換えるのだって、優しさに見えても本当の意味で正しくない。

分かってるはずなんだけどなぁといつも思うわけ。