コトダマリ

抜け殻の感性。

遺影は加工済みセルフィーじゃだめですかね?

多分物心ついた頃から、生きたいと死にたいの間でずっと足掻いている。
さっさと死ね。

長年そういう感情と連れ添って生きてきたので、私の中で死にたい気持ちが渦巻いているのはごく当たり前のことで、「今日は寒いなぁ」とか「お腹がすいたなぁ」とかそういう感情と同じくらいの感覚で「死にてぇなぁ」と思うわけ。
だからってそれをオープンにしてしまうと、痛々しい人間になってしまうので押し殺しているけど。


死にたいなら死ねば?と思うけど、死ぬのって案外大変で
自分の死後に、誰かを悲しませたり、遺品の整理をさせたり、顔すら覚えていない知人に適当な思い出話を捏造されたりするのは不本意なのだ。


消えたい。
欲を言えば、誰の記憶にも残りたくない。
全ての痕跡を消し去りたい。
なんなら最初から私という人間が存在しなかった世界に書き換えて欲しい。

それは無理だけど、せめてパソコンやスマホのデータは全部消して、とか、日記は燃やしてとか、ぬいぐるみの行先を見つけなきゃとか
そんなしょうもないことを言い訳に、今日もまだここに存在している。

人魚姫は泡になって消えたらしい、羨ましい。
そんな綺麗な終わり方が出来るならそれを選ぶのに。

わざわざ骨が残るように弔うなどというのは、よっぽど残酷だと思うよ。