コトダマリ

抜け殻の感性。

自分で傷を抉る話

自分の傷を認めるということは、痛みを増幅させる行為だと思う。

 

大したことない怪我だと思っていたのに、傷口から流れる血を見ていたら痛みが増してきたとか

捻挫だろうと高を括って、挫いた脚を庇いつつ歩いて病院に向かったら骨折と診断され、その瞬間何故か歩けなくなったとか

 

きっと怪我あるある(全て経験談)

 

ましてや、傷口をほじくり返して治療するなんて痛いに決まっている。

 

刃物は刺す時より抜く時の方がよく切れるし

体内に入ってしまった弾丸を取り除くのは手術を要するわけで

まぁつまりそういうこと。

 

実際はどうであれ「自分は傷つかない人間ですよ。感情の希薄な人間ですよ。」として、大丈夫な顔をして、そう振舞っている方がずっと楽。

 

物心ついた頃から思っていたんだよ。

感情を自分で完全に制御出来て、不要な感情に蓋をして生きていければ楽なのになぁって。

結果、割とそれに近しい方向には進んでいると思う。

 

但し完璧じゃない。

 

完璧にそんな事が出来るようになってしまったら、それこそ人間らしさの喪失だし、人間らしさを失うと言うことは優しさとか温かさとかそういうプラスな部分も失うことだから

 

でも、出来るようになりたいなぁとたまに思うわけで。

 

(針の筵の上で暮らしているわけだから、痛みなんか感じなくなってしまった方が絶対に生きやすい)

 

何かを失うことでしか何かは得られないし

向き合うことでしか前には進めないけれど

向き合うことで傷は広がっていく

そしてそれを閉じる術は私には分からない

 

傷は塞がらないのに、人生は八方塞がり。